(体験発表は例会時の会員の発表を要約したものです。文責は要約者にあります。)
HPの仕組みで、一番新しい体験談が、一番上に掲載されます。


心を守る会創立25周年記念文集
「すべてにありがとう」
ー生きる幸せをいただいてー
国立循環器病センター心臓病患者の会 心を守る会


当会は、創立25周年を記念して、「すべてにありがとう」をテーマとした
記念文集を発行することになり、会員の方々に投稿をお願いし、
44名の方に投稿いただき12月に発行しました。


まえがき

(まえがき)→目次 31P有り→(あとがき)






(あゆみ)




心を守る会々員 末宗 宣慶氏 投稿




バス研修旅行報告(19年9月30日)
(会員の末宗 宜慶氏の報告)



会員の外部活動報告


●豊田先生 2007 WIND Art Exhibition展覧会へ出展
 
  中ノ島の大阪市中央公会堂で開催された【風の会】の展覧会に、
当会スペシャルアドバイザーで、
大阪府看護協会会長の豊田百合子先生
(前国立循環器病センター看護部長)が、
水彩画の「ギリシャの思い出」(風景画)と油絵の「きらめき」(人物画)、の
2点の作品を出展されました。
出展された作品から、豊田先生の多才で、クリエイティブな感性にもとづいた
スケールの大きさを感じさせられ、
「青、白、陰のコントラストが表現する深々とした静けさ(ギリシャの思い出)と、
たくましい女性の秘めた躍動感(きらめき)」を水彩画と油絵が持つ対照的な
特長を利用することで印象的に表現されているようでした。

 開催日時:2007年6月23日(土)〜24日(日)
 会  場:大阪市中央公会堂 
 主  催:【風の会】本部事務局
 後  援:大阪芸術大学、大阪市、大阪府、
鹿児島県大阪事務所、他
 

ギリシャの思い出  きらめき



















都島基夫先生のご講演を拝聴して

 ご講演や懇親会がすんで、先生をお見送りのためにホテルの出口までご案内しました。その途中で、「どうでしたか?」と先生が講演についての感想を私にお尋ねになりました。私は急いで「安心しました」とお答えしました。先生は私の「糖尿病」を主治医として永らく診てくださいまして、先生のご退官の日が、私にとって先生の最後の外来診察日でした。「先生もお元気に」と患者らしくないご挨拶をしてお別れしたのでした。その先生のお話しを「心を守る会」の例会で拝聴できたのが非常に有難く、その結果、上のような感想になりました。

 そもそも、糖尿病患者の診察のおわりは、かならず、食事に気を付けることと、適当な運動をすること。それによって、「血液検査の結果に表われた思わしくない数値を改善させるんですよ」ということになります。心臓の手術を受けられた方々の集まりである「心を守る会」の皆様は、「自分には糖尿病は関係ないのだ」と思っておられるようです。ところが、先生のお話しが本会の会員にも大切な、重要な意味のある内容であったことにまず「安心した」のです。

 とくに先生のお話しに安心させられたのは、「運動」についての考え方です。わが身にとって切実なこの「運動」の方法について、時を経るにつれて、専門家のご託宣がずいぶん変化することに気がつきました。ご記憶の方もあるでしょうが、一時は「ジョギング」がおおいに実行されたころがありました。ところが、ある有名な方が、それがもとで命を失われたことがあって、急にジョギングなるものの見直しがいわれだしました。走らなくてもよいから全速力で歩くこと、それも一日に□時間歩いて(だんだん短くなったようです)、少なくとも週に□回(これも無理のないように)、というぐあいです。「全速力」も表現がゆるくなってきました。

 この歩くということは、糖尿病の患者のみならず、心臓を手術した方や、その他、ともすると運動不足になりがちな現代人には、基本的な健康維持方法といえましょう。私は先生のお話しにこの点を期待して拝聴しておりました。さすが先生は、結論のちかくでこの問題に 触れられました。その先生のお説は、「ウオーキングは心臓に負担がかからない範囲で行なうこと」と結論付けられたと考えます。「歩くことによって足の血管が刺激されて、血流が促進され、それが心臓を助けることになる。この適度の刺激が大切である。ただし、その度合いを越すと却って心臓の負担になるから好ましくない。かならず主治医と相談するように。」このように結論付けられたことに「安心した」わけでした。
(平成14年6月22日 東 正弘 記す)

.医師と患者

小生はいま、循環器病センターの内科と代謝部(糖尿病関係)の外来診療を受けるかたわら、センターからご紹介いただいた、ご近所で開業されておられる内科の先生(センターを退官された内科医)にお願いして、いわゆる“かかりつけの先生”としてご診察を仰いでいます。最近、小生をめぐるこの四角関係(?)が一つの変換点に達しました。この様子を一般化して、「医師と患者」の関係についてご参考に供することにします。

 変換点といいますのは、小生の受けた四年ほど前にさかのぼる緊急手術によって、薬が十種類あまりに増え、糖尿病の危険因子の管理が強化されて、いかにも病人らしいきびしい生活を強いられるようになって今日に至ったのが、かかりつけの先生のお蔭で、この治療方法についての検討を、患者として病院に請求するべき時点に来たという意味です。

 かかりつけの先生によると、ご自身もセンターご在任中に経験されたそうですが、患者をめぐって、担当医相互の連携を非常に取りにくい状態が大病院の常として存在し、薬一つ減らすにしても、例えば、小生の場合、内科から投薬いただいている利尿剤をいつまでも摂取していると、糖尿病の危険因子指標の一つである“ヘモグロビンA1C”の数値が高くなることがよく分かっているにもかかわらず、その利尿剤服用中止の判断を内科の先生が下すには「勇気の要ること」であり、結論をどこで出すのか、組織上の問題として発生するということです。

 先生は、昨日のご診察で、早速この四角関係での治療方法の検討を考えようとおっしゃいました。要するに、このへんで四角関係のどこかで検討の口火を切る必要を認めるとおっしゃるのです。幸い、小生がセンターでお世話になっている内科医の上司とは、先生がかつて共に内科で仕事をなさった間柄で、かかりつけの医師としての立場から口火を切ってくださるようになりそうで、患者としてホッとした次第です。このようなケースは、「医師と患者」のあいだで、よく起こることではないでしょうか。医師と患者の連携が非常に大切です。

 この、「かかりつけの先生を持つ」ということは、昨年の「心を守る会」総会で笹子先生のされたご講演を拝聴して、その先生から上記の先生をご紹介していただいたことで実現しました。また、「医師と患者」というタイトルは、今年の総会でご講演いただいた坂東先生が著された岩波新書の「心臓外科医」を拝読して、これが先生の常に大切にされている精神であることを知りました。

(平成13年7月14日記)

   正弘    Mail to: officea@mve.biglobe.ne.jp



二度目の体験

R・Sさん

  私の二度目の手術の顛末を書きたいと思います。

  その日は、平成12年3月27日でした。午前中Sさんが会社に行く前に寄って下さいまして、会の話、病気の話などをしてお互いに頑張りましょうと別れました。そして仕事をしていました。

  午後4時頃左胸のところでカクという感じで胸が苦しくなりました。30分くらい寝ていても良くならないので、私は生体弁が壊れたと思いました。夜になってまっすぐに寝ると苦しく、眠れませんでした。これは間違いなく手術をしなければ駄目だと思いました。

 28日は、仕事をかたづけ、夜になりまっすぐ寝ると苦しくなり、起きていると少しましでした。

 29日、かかりつけの先生に診察してもらった結果、肺炎にもなっているとの事ですぐセンターに連絡して下さいました。そして緊急外来へ入院し、検査の結果、生体弁も駄目だが肺炎があるので少し様子を見るとのことでしたが、高熱が続き「38度〜39度」、酸素も不足になりこのままでは駄目と言われました。

 4月4日、センターから妻に「すぐセンターに来るように」と電話があり、センターに着くとすぐ手術をしなければと先生に説明されました。

 手術は、小林先生でした。それからのことは妻の話を元に書きます。

 手術は、4月4日の午後4時30分頃手術室に入り、手術が終わったのが翌日午前230分頃で、10時間位かかったそうです。手術後小林先生から心臓は思ったよりきれいでしたと説明されました。ICUの中では、二週間、口に人工呼吸器を入れられ、その間熱も高く、意識も戻らず、ストレスがたまるので喉につかえました。

 私の意識がはっきりとしてきたのは、4月25日頃だったと思います。ICUの先生に一般病棟に上がれると言われ喜んでいました。

 ところが、今度は院内感染になり、又二週間ICUで過ごしました。その間ICUの先生、看護婦さん、看護士さんにとても親切にされ楽しく過ごしました。

 そして5月15日の朝一般病棟に上がれました。まだ喉のクダがあるので声が出ないので少し不自由でしたが、看護婦さんから早く声が聞きたいと励まされ、5月25日の朝、喉のクダが取れました。又その日Sさんが訪ねて来て下さいまして、手術後51日ぶりに声が出て話が出来ました。とても嬉しかったです。

 一般病棟でも先生、看護婦さん、看護士さんにとても親切にされ励まされ頑張ることが出来ました。そして6月9日、無事に退院をすることができました。

 私の手術は、大動脈弁と僧坊弁の置換術で人工弁です。ワーファリンを4錠飲んでいます。先生からワーファリンのコントロールが上手くいっていると言われています。


 

カルテ開示の意味

循環器病センターでもカルテの開示がなされていることを、2月の外来で初めて知りました。早速先生にお願いしましたところ、15分ほどでプリントアウトされたコピーをいただきました。昭和58年からこれまでに五回の入院を重ねましたので、その都度のカルテでした。世間では既に開示は始められていたのでしょうが、おそまきながら、このカルテをかかりつけの先生にお届けしましたところ、丁寧にファイルしてくださいました。

  カルテの開示については、昨年、当時の厚生省から全国の国立医療施設に対する通達で、平成13年4月1日までに開示する態勢をとることとなったそうです。循環器病センターでは、今年の1月4日から実施しているそうで、原則として、カルテの法定保存期間である5年前に溯って交付されるそうです。小生の場合、たまたま五回の入院分のカルテが保存されていたから、それが交付されたのだと思います。患者にとって非常に有難いことです。

  この開示によって、かかりつけの先生と循環器病センターの先生との連携が出来たおかげで、患者としてより的確に療養上必要な診察を受けられます。幾度も入退院を繰り返しますと、そのあいだに担当医も変わられ、その都度いろいろな病態で診察・治療を受けてきましたので、どれほどまで自分の身体の変化を知っていただいているか不安がありました。それに加えて、老境にはいって慎重な現状維持を必要とするようになりますと、先生にできるだけ詳しい自分の病歴を正確に知っていただきたいものです。

  昨今は医術が進歩したおかげで、高齢者の手術が増加していると聞きます。しかしながら、これには相当に危険が潜んでいることを知るべきで、当然ながら、その患者の病歴や現在の身体状況を十分に検討・認知して、事前に選択肢を慎重に選択すべきでしょう。そのためにも、患者も自らの病態を正しく認識して、医師のお力をかりるくらいの心構えが必要ではないでしょうか。(平成13年6月 M・A)

本稿は12年6月の懇親会で発表された「私の闘病体験」の要約です。詳細は会報第34号に掲載しています。

人工弁の大敵 黄色ブドウ球菌
 (5回目の手術体験より)


I.Kさん
今年の1月6日に5回目の手術を受けました。
 今回の手術は、三尖弁、大動脈弁、僧坊弁の三つの弁置換の手術と念のためということで、ペースメーカーを埋め込みました。

 手術を受けた原因は、皆さんも常に持っておられる、MRSAという黄色ブドウ球菌に弁が感染し、その菌が全身に繁殖し、内臓器官が全部駄目になるという非常に恐ろしい病気です。
 感染の原因は、昨年のお盆明け、久しぶりに仕事もゆっくりできましたので、子供たちと夏休みということで泳ぎにいき、背中一面真っ赤に日焼けしました。日焼けをし、皮がむけたところから感染したということと、アルコールを飲み過ぎたことが一番の原因のようです。
 主治医の小林先生は、人工弁をつけてその菌(黄色ブドウ球菌)に感染するとまず助からない。菌の付着で弁の機能は全部停止し、その菌が血管を通って頭や全身に飛ぶので、そうなったら半身不随などを考えなければならない。ということで、今回は「よく生きて帰れたなぁー」というのが小林先生の言葉でした。

 今回私が体験したことは、皆さんにも同じ危険な状態にあるということです。そのような危険な状態を「防ぐためにはどうしたらよいのか」ということについてお話したいと思います。
それは、@菌が入ってきてもそれに負けない身体を作っておくということ。
Aそのためには、日頃から身体を疲れさせないようにする。暴飲暴食を止めて、常に身体をいい状態にしておくということが最も重要。
Bウガイをする、手洗いや洗顔を常に心がけることが大切。帰宅したら必ずウガイや手洗いをすることが予防の第一。

I.Kさんの術後の感想
 手術が終わったときに、先生から「もう一度するか」と言われたときに、私は「もう勘弁してください」と言いましたが、人生八十年と考えると、もう一回は手術をしなければならないかと思っております。
 6回となるとギネスブックに載るかなと思っていますが。私が知っている方では北海道のMさんが6回手術を受けておられるように聞いております。6回目にならないように、これからは体力をつけて、ウガイと手洗いを心がけて、菌が入らないようにしたいと思っております。

 皆さん方も常にそのような危険をはらんでいるということを認識して、ウガイや手洗いをするようにしてください。
 健康法ではありませんが、このようなことで手術を受けられないように、皆さんにも十分注意していただきたいと思います。



「頑張ろうな」の仲間の励ましで、プラス指向に

N.Kさん
 去年の9月に4回目の手術を受けました。
 そのときは私自身マイナス思考になっていて「駄目かな」と思っていたんですが、レントゲン室の前で入院中のI.Kさんから「頑張ろうな」と声をかけていただいたことで、なんとなく元気になり調子も良くなりました。有り難いとことです。
 このたび不整脈がでまして心エコーの検査を受けてもなにもないとのことで、電気ショックを受けることになりましたが、電気ショックのことがわからず落ち込みましたが、電気ショックの結果はすごくいい状態で、今は不整脈も治まり順調です。
一人でいると落ち込んでしまいますが、この会で皆さんと一緒になり声をかけたり、かけられたりすると元気になりファイトがでてきます。



早すぎたワーファリン投与の停止
腎臓機能が半分に

Y.Tさん

 胆石で入院したときの経験です。
 主治医が、心臓病についてはあまり認識がないらしく、自分の手術を無事に、出血なしに成功させようと思ったのがきっかけだと思いますが、常識を越えて早く私のワーファリンの投与を切ったうえに、手術の前日に血液が固まる注射をしました。
 胆石の手術は大成功だったのですが、二日目に違和感を生じて、立って歩けなくなるぐらいの不快感を生じたのですが、その先生には、「食中りではないか」と言われましたが、2日も3日も食べていないのに食中り?とは、と思ったのですが、とりあえずその先生の言うことを信じないわけにはいかない状態でした。

 ところが症状が治まってスキャンで検査したら、実はワーファリンを早く止めすぎたために血栓ができ、その血栓が腎臓に飛んだため腎臓血栓になり、非常に僕の不快感を生じ、僕の腎臓はそのために左か右の半分位が無くなりました。
 不快感を生じたときにセンターのお医者さんに電話をしてほしいとアピールしようと思ったのですが、やっぱり僕たち患者という立場というものはそれができにくいという状況にあります。

 その原因は、専門医によると、非常識な早いタイミングでワーファリンを切ったこと。ワーファリンを切るタイミングについては、医者に配られるマニュアルがあって、手術前にそのマニュアルをちゃんと読めばもっとぎりぎりまでワーファリンを投与し、手術が終わった段階で早くワーファリンを投与する。そうできた筈なのにそうしなかったのは明らかに医療過誤である、と言われました。

この体験についてY.Tさんは、次のように述べられておられます。
 現実問題としては、医者を訴える気にもならないし、しょうがないなと思っているのは、患者と医者の間に気持ちの大きな隔たりがあるからです。その病院で手術を受けるについては、20年来世話になっている主治医の紹介で入院したものですから、僕自身、そういう事故についてアピールしてどうこうしようとする気にならなかった。そういう経緯があってこの問題について深く思っているときに、今日も一人胃潰瘍の手術を受けられた方が、ワーファリンの投与を3週間前に切られて、血栓が飛んで半身が非常に不自由になられたという方にお目にかかって胸が痛む思いです。
 そういうことを前回の例会で川島康生先生に直接お伝えしたら、川島先生は、「00さん、それはごめんなさい。我々医者が不勉強なのです。非常に不幸なアクシデントで、そういうケースも勉強させてもらいます。」と言っていただいので、僕は、そのような目にあったことについても償われて、本当にお医者さんは有り難いなと思っているわけです。 そういうセンターとの信頼関係がこれからも持続したらいいなと思っております。いろいろなことがありますけれども、「心を守る会」がそういう場になればいいなと思うし、今までもそうなってきたわけですから。



私の闘病体験記「心を守る会」の記

M.Yさん

身体障害者一級手帳(心臓機能障害弁置換)保持者の私が、喘ぎ喘ぎながらの生活の記としてお許し下さい。

 私はいろいろのところで自分の生い立ちを語るとき、長い間の悩み苦しみは少年時代からのリュウマチによる心臓弁膜障害でありました。私の年代では兵役の経験があるはずなのにそれも無く、言うところの暗い青春特代を過ごしました。今でこそリュウマチも心臓病も征服される病気でありますが、心臓病について70年代迄は病勢は徐々に悪化して最終心不全死となる恐ろしい病気でありました。
 従って私も全力を出し尽くすような仕事も出来ず、何となく物足らぬ生活を続けておりましたところが、いろいろのいきさつきもありましたが83年春、国立循環器病センターで心臓大動脈弁の人工置換手術を受け、奇跡的にも病体が一変しました。それ迄2階、3階の階段も息苦しくて昇れず、ジャンボ機のタラップも漸く手すりを持って昇降した心臓が生き生きと働いてくれるようになりました。私にとっては再生の手術でありました。

 昨年の春、脳死心臓移植の手術・心臓移植手術も成功しています。生きている心臓の手術など簡単なもの(でもやるとなると大変な手術です)となりましたが、これも医療の日々の進歩それに携わる医学の先生方の精進のお陰と感謝する次第であります。
 弁置換の手術は通常で5年10年で再手術が行われますが、私は術後17年、まだ故障もなく頑張っています。
 これからは自重して与えられる余命を大切にして生きたいものと考えおります。



私の健康管理

K.A さん

 私は、平成元年にセンターに入院し、それから5年おきに3回入院しました。
 当初は、神経狭心症で、次は心筋梗塞で救急車で運ばれ入院、その次は心筋梗塞が起こる前に車で診察を受けにました。担当医は野々木宏先生。また、後藤葉一先生のリハビリも以前に受けています。昨年、梗塞が起こる前の状態で入院しました。
 私が気をつけているのは体重です。食事がおいしいので食べます。飲みます。そうすると肥ります。そうすると梗塞がおこりますので、体重いかにして減らすかに気をつけ、標準体重にもっていくことに全力投球しています。だから運動もやっています。ゴルフもやっています。また歩いています。食事では、辛いものや油の入っているものには注意し、塩分は控えめ、酢を飲むなど食事療法には気をつけています。
 私はステントが二本入っています。一本だけ冠動脈が正常に働いています。なんとか死ぬまで正常な一本を守ろうと思っています。



一人で悩むつらさ

K.Tさん

 私は10年8月に僧坊弁と大動脈弁を機械弁に置換してもらいました。
 不安な毎日を過ごしていましたが、Iさんからこの会のあることを知り入会しました。
 これまでは自分一人がこんな病気にと悩んでいましたが、今日皆さんにお会いして、心強く感じています。皆さんのお話を聞かせていただき頑張っていこうと思います。



2度目の手術の宣告を受けて

K.S さん

 心臓が肥大しています。今度の手術は僧坊弁と大動脈弁の置換になります。手遅れになると心臓の大きさが縮まらない恐れがあります。との宣告。不思議なことに今回は、最初の手術前の手術に対する恐怖感が全くなく平静に聞くことができました。

未知の体験に対する不安と恐怖
 最初の手術の時は、手術による死の恐怖、本当に元気になれるのか、元の生活に戻れるのか、などのさまざまな不安、「心臓手術は進歩しており、危険はほとんどありません。大丈夫ですよ」とのドクターの話のみが頼りで、全く未知の世界、言葉だけのあるいは統計上の大丈夫ということで、たんなる気休めにすぎないとしか思えないことが大きな不安感・恐怖感の源泉でした。

生きた情報を持つ安心感
 それが「心を守る会」の仲間達の2回目〜5回目までの手術受けられた結果を、例会に参加して「直接会って確かめ、話しをして確認している」から手術に対する不安も恐怖も感じないのだと気が付きました。もっとも手術を受けるのは嫌ですが。
情報の大切さ、特に生きた情報の重要性を痛感しています。「心を守る会」はまさに生きた情報源です。仲間達と一緒に大切にしていきたいものだと思っています。